実績データと復職者の声

実績データ


1日利用平均数 20名~35名
利用者総数(延べ) 773名(男性 644名 女性 129名)
利用者の年齢
  • 20歳代:117名
  • 30歳代:237名
  • 40歳代:275名
  • 50歳代以上:144名
利用者の職業
  • 会社員:442名
  • 公務員:284名
  • 自営業:4名
  • 無職:43名
転帰
  • 復職(就職含む):534名
  • 利用中断:237名(再利用し復職した方も含みます)
平均利用期間 約6ヶ月

復職者の声


30代女性

人と話すことの楽しさをしみじみと実感できた

休職してからしばらくは自宅療養をしていましたが、外出するのは通院と買い物ぐらいでした。〝ただ何となく静養していた〟というのがピッタリで、復職のことなどはほとんど考えられませんでした。
主治医から「発達障害の疑いあり」と診断を受けたのがきっかけでバックアップセンター・きょうとに通うようになりました。最初の方は「ちゃんと通えるかな?」「皆と仲良くできるかな?」という気持ちでいっぱいでしたが、スタッフの方々やメンバーの皆さんが温かく迎えて下さり、その不安は数日で消し飛びました。また人と話すことの楽しさをしみじみと実感できましたし、体操やヨガなどで体を動かすことの大切さも知ることができ、ますます充実した生活を送れるようになりました。
休職というと世間一般では〝回り道〟や〝足踏み〟とか、どちらかというとマイナス的なイメージを持たれがちだと思います。しかし実際に休職してバックアップセンター・きょうとに通うことで、スタッフの方々やメンバーの皆さんとの新しい出会いや、デイケアという未知の経験をさせてもらいました。今となっては、休職は自分の心のケアはもちろん視野を広げる良い機会になったのではと、プラスの気持ちが強くなっています。
いよいよ復職となりましたが、バックアップセンター・きょうとに半年間安定して通い続けられたのを自信とし(かといって決して焦らず)、再出発していこうと思います。

40代男性

リワークに通い復職する自分の姿がイメージできた

私が休職に至った原因は「双極性障害」と「役割期待の過大評価」だった。双極性障害は学生の頃から持っていたと思うが、「気持ちの浮き沈みが激しい人」くらいの影響だったと思う。社会人となり年齢を重ね、そこに仕事での役割が付いてきたとき、もう一つの「役割期待の過大評価」によって、あれもこれもやらなければという意識が強くなり、そのために自分を無理やり過活動の状態に置き続けていた。しかしその様な無理が長く続くわけはなく、心身ともに疲労が蓄積していった。さらに、持っていた仕事がさらに長期に対象領域を拡大して行う方針が決まり、将来の展望が見えなくなり、一気に気持ちが落ち込んでしまった。
バックアップセンター・きょうとへの通所に際しては、「これまでに多くの人が復職に至っているプログラムなのだから、一旦身を委ねてみよう」、という気持ちで参加した。バックアップセンター・きょうとでのリワークプログラムは、ステージ進行に伴う通所時間の拡大やコミュニケーション量の増加など、休職者が徐々に、でも確実に復職に向けて歩みを進められるようにきめ細かくに設計されていると感じた。メンバーは皆さん年齢、職業、経験も多様で、でも「しんどい」という言葉が通じる仲間で、安心感をもちながらも多くの刺激をもらうことができたと思う。
卒業にあたって、今私は復職する自分の姿がイメージできており、そのさきにも世界が広がっているのを感じる。どちらもバックアップセンター・きょうとに通わなければ見えなかったものだ。もし休職せずにいたならば、以前と同じように自分が抱えている仕事のことで精いっぱいで、そのさきの世界に目を向ける余裕もなかったかもしれない。そうやって考えてみると、自分の人生において、休職したこと、バックアップセンター・きょうとにお世話になったことは決してマイナスなことではなかったのではないかと思える。このように回復するまで見守り、指導していただいたスタッフの方々、こんな私をいつも温かく受け入れてくれたメンバーの方々に感謝したい。

20代女性

仕事ができなくなった自分は恥ずかしいと思っていた

私は、復職2ヶ月を挟んで前後約1年休職している。後の1年はバックアップセンター・きょうとに通所をすることができて、とても実りの多い1年だったなと思う。仕事をしていない、仕事ができなくなった自分は、恥ずかしいと思っていた。でも、仕事ができなくなった理由は、自分が原因でもあるが、環境にも原因はある。環境、特に仕事の環境は、他の人も関わることなので、すべてを変えることはできない。他を変えようと努力するのではなく、まず自分や自分の周辺から変えられることを、少しずつ見つけて、小さな習慣の方法で取り組んでいく、が今私にできることと、学ぶことができた。バックアップセンター・きょうとに通所している生活は、しんどさを感じることも多かったが、行きたくないと思ったのは少しだったかなと思う。それは、素直にしんどさを感じたことを表出してもよい場であったからだと思う。不機嫌にしていても、取り繕わなくてもいい。逃げてもいいと思わせる場であったからだと思う。今後復職したすぐは、仕事モードのテンションの上がった状態になってしまうだろう。バックアップセンター・きょうとで学んだ事を忘れてしまうこともあるだろう。でも1日のどこかで、「これってどうなのかな」と振り返れる時間を作って、長く自分をケアできる環境を作っていきたいなと思う。

20代女性

たくさんの刺激を受けることが薬になった

休み始めたのは、ある日突然、呆けたように仕事が出来なくなってしまったからでした。きっかけは、日常業務の上では時々起こる程度のトラブル(しかも自分は直接的には関係ないもの)です。なので恐らく、正味の発病契機に関しては、元々の自責的な考え方、過重労働の積み重ね、まともに休めない休日、生活リズムの崩れ…など、複数要因が絡み合ってコップの水が溢れたのかな、と解釈しています。 初めの9ヵ月ほどは、自宅療養をしていました。「早く復職しなければならない」「休んでいるからには何かしなければならない」という焦りが強く、足から出血するくらい散歩をしてみたり、上司に勧められて黙々と編み物を始めてみたり、何も成し遂げられず無為に時間を過ごしている自分を罵倒してみたり。その間、他の人との交流はほぼ皆無でした。 バックアップセンター・きょうとを知ったきっかけは、主治医からの提案で、「そんな悠長なこと言わずに早く復職したいのに」と不承不承ながらも見学に訪れてみました。当時、何かの係か実行委員かの会議をされていて、皆さん明るく笑顔で話されているのが印象的で、「果たして私は、この楽しそうな人たちの中に入っていけるのだろうか」と暗い気持ちになったのを覚えています。しかしまあ、自分でも「今のまま自宅療養を続けていても現状を打開できない」ということを薄々感じ始めてもいたので、通所を決意するに至りました。 いざ通い始めてみると、人と接する機会が爆発的に増えたことに頭や気持ちが追い付かず、一時期は睡眠リズムも乱れてしまったり、読書をするだけの集中力が維持できなかったり、といった状況でした。当初は短期通所の予定だったのですが、「このような状態では、数週間後に復職なんて到底できないだろう」と、半ば諦めがついたというか何というか、途中から通常利用に切り替えることになった次第です。その諦めというか踏ん切りというか、そんなものが重要だったのか、慣れも出てきたのか、そこからは少し力を抜いて色々なことに取り組めるようになった気がします。色々なプログラムに取り組んだり、係活動をしてみたり、実行委員活動でワーカホリックな悪癖が見え隠れしたり…。他のメンバーさんの発言がきっかけで、しばらく遠ざけていた趣味を再開したり、新たな趣味に出逢ったりすることにもなりました。 経時的に変化を見ていてくださった方々には、「通所し始めた頃に比べて、元気になりましたよね」とお声掛けいただいたこともあります。自分としては、元気に“なった”というよりは、元気を“引きずり出して頂いた”という表現が適切なように思います。エネルギーを蓄える時間も必要だったと思いますが、スタッフさんや他のメンバーさんと接することでたくさんの良い刺激を受けることが、何よりの薬だったと感じています。

40代男性

メンバーさんとスタッフさんとの出会い

私は、これまで40歳になってから4度の休職を繰り返してきました。
休職するたびに、働く期間が短くなり、反対に休職期間が長くなっていきました。休職すると、心が折れるのが早くなり、職場に対する後ろめたさを感じてきました。
職場に理解してくれる人や相談する人が誰もいなかったため、いつも不安や孤立感を感じてきました。
今回も、睡眠不足やメニエール病が発症し、職場に向かうと耳鳴りや吐き気、めまいなどが頻繁に出てきました。
そして、最後には駅で倒れ救急車で搬送されるところまで、心も身体も追い詰められていきました。
BUCの通所の動機は、当時通院していた病院の主治医から何回も同じ事を繰り返しているので、1回入院するか、リワーク施設に行くか勧められました。そして、主治医から、この施設はどうかとBUCを勧められました。それからすぐに、BUCを見学しに行きました。
自分の中ではBUCに通所して卒業するということが、とても不安でやっていけるか心配でした。
しかし、今までと同様にしていたら自分自身も変わらないと思い、BUCに通所することを決意しました。
それからBUCに通所することによって今までは、家での自宅療養をしてきたため、どうしても生活リズムが乱れていたので当初は、BUCに行くのも大変で休みがちでしたが、少しずつ慣れてきて規則正しい生活リズムを取り戻すことが出来ました。
後、メンバーさんとスタッフさんとの出会いが一番大きかったです。
メンバーさんは私と同じ様に苦労されている方々がいることを知り、スタッフさんは行き届いた観察やアドバイスをいただき、私が苦手だった人とのコミュニケーションがとれるようにもなり、メンバーさんやスタッフさんに自分の不安な事を質問して、いろんな事を学び気づくこともできました。
BUCに通所し、今では卒業するまでになりました。復職後は、BUCで学んだことを活用し、継続して仕事を続ける事を目標とします。
BUCの通所期間中、ご支援ご指導いただいたスタッフの皆様、並びにメンバーの皆様には大変感謝しております。
OB交流会などでまた、皆様とお会いしたいです。皆様の笑顔と元気な姿を見ることを楽しみにしています。自分も負けずに笑顔で元気な姿でお会い出来る事を望んでいます。

40代男性

自分と向き合うことを学びました

この度、2015年11月から1年1ヵ月にわたり通所し受講したリワークプログラムを修了することとなりました。
この間、時には温かく、時には厳しく支えていただいたBUCのスタッフの皆様、ならびに、ともに励まし合いながら時間を過ごしたメンバーの皆様には大変お世話になりました。心から感謝しています。
私がBUCに入所したのは、トライアル通所をするためでした。
当時、私は3ヵ月間、別のリワーク施設(ショートケア)に通所しており、気分・体調も安定してきたことから、その仕上げとしてBUCを利用しました。トライアルは無難にこなし、復職判定も「可」をいただき、「いざ、復職面談へ…」となったとき、復職に対してものすごい不安感に襲われました。休職してからこの間、何も身につけていない(休む前と何も変わっていない)ことに気が付いたからです。
当時の主治医に相談の結果、「今、戻るべきではない」との結論に至り、2016年1月から本通所に切り替えました。
その後、復職に対するモチベーションが上がらない時期が続きました。自分でもどうしたいのかが分からず、不安や落ち込みで何度か体調を崩すこともありました。
そんな中、スタッフさんからOB交流会の実行委員に指名され、取り組むこととなり、その頃から私の中の考え方が変わり始めました。
「他人のために動く、何かをする」ということが「働くこと」と結びつき、自らのモチベーションになり始めました。
その後、ファミリーミーティング実行委員のリーダーも務めさせていただき、仕事をこなす経験とカンを養うことができました。
私の具合の悪くなるパターンは日々の不安や緊張などのネガティブな感情を感じにくい(=目を向けない、押し殺す、はねのけようとする)ことから、失感情症のようになり、それが身体症状に現れるという状態でした。
まずは、自分にネガティブな感情があるということを認め、受け入れること。そして、そのネガティブな感情が何に対して湧いたのかを考え、その事柄に対処することが必要だということをBUCのプログラムやスタッフさんからの指導によって学ぶことができました。
まだまだ、道半ばではありますが、今後は仕事をする中で、BUCで学んだことを生かしながら、自分らしい人生を選び取っていきたいと思っています。
最後になりましたが、スタッフの皆様、ならびにメンバーの皆様のご健勝とご多幸をお祈りしております。本当にありがとうございました。

「思い切り泣けない人は、思い切り笑うこともできない」
-イスラエル元首相/ゴルダ・メイア

20代女性

“気づき”から得られた個性

まず、今まで支えてくださったスタッフの皆様、優しく接してくださったメンバーの皆様に御礼申し上げます。本当にありがとうございました。
私はうつ病で2016年5月から休職し、8月末からBUCに通所させていただきました。
最初はとても元気がなくて、しんどくて、BUCに週3回午前中、来て帰るだけで精一杯でした。「いつも柱の近くの4人掛けテーブルに座って、柱に吸い込まれそうになっていたね。その時から比べてめちゃくちゃ元気になったね。」と卒業されたNさんから言われたことが印象に残っています。
通所を半日から1日に増やそうとしたとき(2016年10月くらい)も、頭痛と吐き気でしんどくなり、スタッフの方に迷惑をかけました。でも、その時にスタッフNさんとMさんにとても優しくしていただいたことが、信頼感に結びついて、安心してBUCに通えるようになったきっかけでもあったと思います。
年が明けてからは見違えるように元気になり、係活動をして、自主会にも全て参加し、病歴の振り返りや実行委員やメンプロもして、楽しくBUCでの毎日を過ごさせていただきました。その毎日が、今の私にとっては宝物です。
BUCで学ばせてもらったことはたくさんありますが、一番大きいのは“気づき”だったと思っています。
スタッフさんとの話の中で気づいた、自分の特性。自分は今まで常に100%以上の力で頑張り続けてきたのだということ。毎日を60%の力で過ごすように心掛けることで、こんなにも生きやすくなるのかという驚き。
“気づけて”、“変われた”ことは、自信へとつながりました。根気よく話を聞いてくださり、一緒に考えてくださったスタッフFさんには特に感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございました。
復職に向けての心境としては、リハビリを終えたサッカー選手の試合前という感じです。(そこまで格好良いものではないですが、あくまで心境として。)
メンプロのために2週間、毎日仕事の内容を考え続けることができたという自信が、この心境を生んでいると思います。あれだけ考えるのもしんどかった仕事の内容を2週間も考え続けることができたのは、自分でも自分の回復に驚きました。
もし、仕事の内容でしんどくなった人がいれば、メンプロで仕事の内容を紹介してみるのも、自分の回復度合いがわかるのでオススメです。
最後になりましたが、身体の不安についての相談に乗ってくださり、ダイエットGでしごいてくださったスタッフNさん、病歴の振り返りで私のしんどさを認めてくださったセンター長、スタッフKさん、体力増進Gで毎回的確なアドバイスをくださったスタッフMさん、クラフト係で苦楽を共にしたスタッフMさん、話をしっかりと聴いてくださったスタッフFさん、笑顔が素敵なスタッフMさん、本当にありがとうございました。

30代男性

BUC通所を終えて

BUCに約9ヶ月通所させて頂きました。主治医、スタッフ、メンバーの皆さまに大変お世話になり、厚く御礼申し上げます。
私は適応障害のため2015年12月15日から休職し、自宅療養を経て2016年5月に職場復帰のための産業医面接を受けましたが、職場復帰不可との判定でした。
その際リワーク施設に通うことが職場復帰の条件になりましたので、産業医からBUCを紹介して頂き通所することになりました。
このような経緯であったため、通所開始した頃から秋頃まで、私は「仕方ないから嫌々通う」といった感じでした。嫌々でも始めたものを途中で投げ出して辞めるということが自分にとって許せないことだったので、意地で通っていたと思います。この頃の私は、とりあえず早くBUCを卒業して復職しようと考えていました。
BUCのプログラムも自分にとって役立つものに思えず、否定的だったですし、メンバーと交流なんて別にしたくないと思っていました。この頃はスタッフやメンバー(私より先にBUCを卒業されたメンバー含む)の皆さまに大変失礼なことをしてしまいました。
私は自分が病気であるのを認めていなかったということもあり、課題図書を読み進むにつれて、自分の症状等がピッタリと本に書かれていたことで、余計に不安になり気分や体調を悪くしていました。
しかしそんな自分に対して、根気よく接して頂いたスタッフやメンバーの皆さまがいてくれたことと、自分がスッキリ納得できる課題図書に出会えたことが私を救ってくれたように思います。
それからはBUCのプログラムが私にとって、どのような意味があるのか理解でき、しっかりと受講できたと思います。
これからBUCに入所される人の中には、私のようにBUCのプログラムに否定的な人も自分が病気であることを認められない人もいるだろうと思います。
そういった人にアドバイスするなら「とりあえずBUCに通って素直にプログラムを受けてみよう」と私はアドバイスします。きっと自分がスッキリ納得できるものに出会えると思います。
私が抱える不安や葛藤はBUCに通所して全て解決したわけではありません。解決しなかったことの方が多いです。
ただ私は、それらとどのように自分が向き合っていけば良いのかを見つけることができました。それを忘れず職場復帰して再スタートしようと思っています。ありがとうございました。
BUCに約9ヶ月通所させて頂きました。主治医、スタッフ、メンバーの皆さまに大変お世話になり、厚く御礼申し上げます。

30代男性

BUC卒業にあたって

私は通所開始とほぼ同時に退職することが決まっていました。会社に戻る選択肢がない状態で通所していました。
通所当初は、この先どうなるのか考えるだけで、お先真っ暗な気持ちになっていました。しかし、BUCのプログラムに参加して、ステージが上がるにつれ、いろいろ気がつくようになってきました。
その中でもハッとさせられたのは、良い状況であっても、そうでない状況であっても、自分がどう捉えるかどうかで変わってくるということです。
そして、私は今までこんなに充実した毎日を送った事はないと思えるくらい楽しく通所していました。自分らしさというものが、かえってきた感じです。
以前の私は、劣等感が強く、自分の考えは間違っている、もしくは他人の言うことの方が正しいと思い込んでいました。
しかし、BUCのコミュニケーション講座などで、ロールプレイをすることで、フィードバックがもらえて、良かった点や、もっと良くなる点など話し合い、自分が思っていたより悪くない事が分かり、自信もつきました。
BUCのプログラムは、今自分に必要な事が、その時にあるという感じで、焦ったりすることもなく、じっくり取り組むことが出来たと思います。
BUCでマインドフルネス瞑想を知って、今の自分の状況を受け入れることに取り組み、一度は受け入れられずパニックになった事もありますが、病気のことを受け入れられるようになり、どうすれば、今の自分の良い状態を作り出せるかに目が向くようになりました。
ありのままの自分を受け入れ始められると、後は流れるように物事が決まっていき、自分でも驚くくらいトントン拍子で次の仕事も見つかりました。
BUCのスタッフやメンバーの皆さんや、ハローワーク、ジョブパークでお世話になった方のおかげで次のステップに辿り着くことができたと思います。色々な方に支援していただいて今日を生きているんだなぁと改めて思います。